今年は丁寧に生活したいです。
ありきたりな言葉でちょっとどうかと思うけど。
社会人になってからというもの、気持ちだけはせわしなく動いてきたつもりだった。 何もできない新人時代、あの憧れの先輩のように仕事も充実してて、休日はいい車に乗っていいギアを持って遊びにいって楽しむ。みたいな漠然とした憧れを持っていて、 自分も頑張って何者かになればそういった生活ができるようになるのかなとか考えていた。
よくある話題
自分はITスタートアップ業界というそれなりにイケイケな業界に生息している。 ここらでよく話されるワードは完全な主観だが以下の2点
- 誰かの年収について
- 誰かの転職について
年収は自分と他人を比べやすい。 界隈の有名人が何処の企業に転職したっていう話も、その人を抱えているというカードゲームの持ち札のような見え方ができるので間接的に自分のいる企業と比べたりもできる。 私には自分の企業・年収と他人を比べるような情報交換を頻繁にやっているように見えている。
話は少し変わるがTwitterでは成功する/失敗しない方法・考え方
みたいな話がタイムラインを埋め尽くしていて、
よくわかんないけど何者になりたかった自分
は1日中どうにかして成功する方法みたいな話題で頭の中を埋め尽くされている状況だった。それも知らないうちにそうなっていた。
動き回ってみた結果
自分はバカなので自分のできる範囲でここ数年色々動き回ってみた。
- 転職活動
- 自作プロダクトを作る
- 技術記事の投稿
転職の材料になったり、人間関係のきっかけになったことはいくつかあれど、長期にわたりそんなに残るものはほとんどなかったのかなと思っている。
それだけだと所謂イケてる人になり得ない気がして、写真や動画をかじってみたり、フェスに行ったりSNSで不器用ながらに振る舞ってみたり。 投稿時は気持ちの高鳴りでいけてる俺フー!って思ったりもしたけど、世の中のいけてる人と比べた瞬間風に吹き飛ばされた感覚になったり。
結論として、色々もがいてみて前より悪くなったことはないけど、 人と比べてみれば自分の成果なんぞはイマイチなものにしか見えなかった。
突っ走ってきた代償
突っ走っているときは目の前の行動こそが正義なので、可能な限り時間をとってそれらのタスクをこなさないといけないと思い続けていた。 しかし別に自分はそんなに勤勉ではないので結構な割合でサボってしまう。後回しも得意だ。優先順位は以下のようになっていたような気がする。
- タスクをサボる
- タスクをこなす
- その他
こんなふうに雑に生きてきたので以下のような代償があった。
- 外食が増えた
- 睡眠時間が不定期になった
- 緩やかに太ってきた
- 年収は上がれど遊びに使う金がない(エンゲル係数が高い)ので遊びに行ける回数は増えない
あれ?昔憧れてたパイセンに全然近づいてなくないか??
結局昔の未熟な自分が今もしっかり宿り続けていてちょっと絶望したりした。
考察
流石に刹那的な感じでこのまま突っ走り続けても改善はしないので立ち止まってみようと思った。
仕事を頑張っても生活そのものに直結し得ないのではないか。 美味しいものを好きな人と食べたり、遊びや旅行によって興味の幅を増やしたりということをしていかないと、せっかく収入を増やしても気持ちの面ではそれほど変わらないのではないか。
逆に自分より収入が少なくても楽しく生活できている人がいるわけで。 収入を上げる努力はこれまで通り続け、プラスで生活を豊かにする努力をしていきたいと考えた。 その指針が丁寧に生活するなのかなあと。
指針
やりたいこと
お金について
- 好きなものにお金を使う
- 無駄なものを買わない
時間をかける
- 食事はゆっくり時間をかける
- 調理もゆっくり時間をかける(自分にとって料理はリラックスタイム)
- 欲しいものをゆっくり探す
- 遊びにいく時間をとる
- インプットの時間をとる
- 睡眠時間をとる
- 考えをまとめる時間をとる
- 時間管理の時間を作る
意識
- 時間をかける
- 効率化は一旦置いておく
やらないこと
- 3つ以上平行でやろうとしない
- 刹那的なアウトプットに走らない
- 予定を詰め込まない
- なんとなくをやめる